天候インデックス保険はカンボジアの農家を救えるか(2) |
公表されている計画によると、事業は2014-2018年にかけ2つのフェーズに分けて実施されます。第1フェーズは保険事業の実現可能性を判断するためのフィージビリティ調査で、国内の気象や農業、農家の生計に関するデータを分析し、現地の保険業界の現状や関連法規制などを確認したうえで、パイロット事業の実施案を作ります。
それで「この案はいけそうだ」となれば第2フェーズでは保険商品の具体的な設計に移り、バッタンバン、コンポン・トム、プレイベンの3州内で対象地域を選定。運営主体となる保険企業や金融機関などを決めてパイロット事業を実践し、最後に結果を検証してその後の展開を考える、という流れのようです。
天候インデックス保険は、途上国の多くの農家のニーズにマッチした素晴らしいアイデアのように感じられますし、過去にもタイに限らず数多くの途上国で様々な機関によって導入が試みられてきています。しかし、現実にはうまく民間ベースのビジネスとして軌道に乗り、農家に広く浸透していったという例はあまり聞かれません。一般的には途上国での事業化は難しいという見方がまだ強いようです。
それはなぜかと言うと、その要因は数多く挙げられるようですが、おそらくカンボジアの事業でも重要になってくる点は大きく3つあるのではないかと思います。
1つ目はそもそも正確で信頼のおける過去の気象データを収集できるか、という点です。保険の支払基準になるインデックスを適正に設定するには対象地域の過去の降水量などの気象データをもとに、現地のコメの作況や家計への被害発生の程度や確率を解析し、リスクを評価する必要があります。
世界銀行のガイドラインによれば過去30年分、損保ジャパンによれば10年分と、商品設計にはとにかく長期間の気象データが必要だそうですが、途上国の場合は往々にしてそのようなデータの蓄積が無かったり、記録はあっても不正確で信頼性に欠けるものだったりします。
カンボジアの測候所も予算や人員不足が原因で機能していないところが多いと聞きます。国内の保険企業や金融機関も、実は天候保険ビジネスには関心を抱いていながら、気象データの入手が困難であるために前に進めないでいるのが現状のようです。今回のADBの試みも、もし第1フェーズでしっかりとしたデータが入手できなければ、事業化は無理という結論になってしまうかもしれません。
2つ目の課題は、ベーシス・リスクと呼ばれる問題で、これは「加入者の実損発生の有無を問わずに、インデックスを基準に補償の有無を決める」という天候インデックス保険の構造上の難点です。「観測地点の基準降水量」と「加入者の居住地域の実際の降水量」に乖離がある場合、実際には干ばつや洪水による損害が出ているのに、インデックス上は「平年並み」の雨量しか観測されず、保険料が支払われない、という現象がどうしても起きてしまうことになるわけです。
この乖離がベーシス・リスクと呼ばれるのですが、カンボジアでもこのリスクは大きいのではないかと思います。というのは私が知る限り、同じ州(Province)や郡(District)にあり、地形的にも似ていて距離もさほど離れていない村同士なのに、同時期に一方の村は雨不足に悩み、もう一方の村は洪水に苦しんでいる、といった光景が普通に見受けられるからです。
特に事業の初期、保険商品に対する加入者からの信頼がまだ十分に確立されていない段階でこうしたベーシス・リスクに起因する「保険金不払い」問題が起きると、既存の加入者の離反を招いてしまうだけでなく、地域内にも悪評が広まり、その後の売上不振にもつながりやすくなります。
ベーシス・リスクを低減するには、加入者の個別の状況をなるべく正確に把握できるよう、できるだけ数多く観測地点を設けることが必要になりますが、いたずらに数を増やせばそのための投資や運営のコストが増加し、「割安の保険料」という天候インデックス保険の利点そのものが失われてしまうことになります。
この点に関連しますが、3つ目の課題は、いかに保険料を抑えられるかという価格の問題になります。他国の先行事例では、天候インデックス保険が通常の作物保険より相対的に割安だとはいっても、貧しい農家にとってはまだ価格が高すぎ、そのためになかなか加入率があがらない、といった問題があるようです。
東京海上日動火災保険も参入しているインドの天候インデックス保険業界だけは急速に成長していて、75%の販売シェアを占める国有のインド農業保険公社(AFC)では保険加入者が約1,200万人に達しているとも報道されていますが、これはインド政府の補助金政策により保険料の50-80%が補てんされ、農家自身の負担額が大幅に引き下げられているからです。
カンボジアの場合はこのような政府の補助金はおそらく期待できないと思いますし、やはりいかに運営コストを圧縮して農家の保険料負担を下げられるかが鍵を握ることになると考えられます。
こうした課題の存在を踏まえると、天候インデックス保険が干ばつや洪水の被害からカンボジアの農家を守る処方箋となりうるかどうかは未知数ですが、まずはやってみなければわからないことの方が多い気がします。民間企業が単独でこのようにリスクの高い新規事業に挑戦するのは難しいでしょうし、そこをADBのような開発援助機関がこういう形で支援するというのは意義深いことだと思います。
保険の販売方法についても、今のところ、ADBは前回ご紹介したタイの事例のような「保険付きローン」という形を前提としているわけではなく、作付用の種子や肥料の販売と保険をセットにする、といった可能性も考慮しているようです。今後の経過に関する情報が外部にどれだけ公開されるのかはわかりませんが、どういった商品が登場することになるのか、事業の成功を期待しながら動向を見守っていきたいと思います。
(参考)
・櫻井武司(2013)『発展途上国における天候インデックス保険の現状と課題』ARDEC48号
・世界銀行(2011)『Weather Index Insurance for Agriculture: Guidance for Development Practitioners』