フン・センはなぜ権力を手中にできたのか(1)-『Hun Sen’s Cambodia』 |
・『フン・セン首相の30年: 暴力と弾圧、そして汚職にまみれたカンボジア』
この報告は文字通りフン・セン政権下でおこなわれてきた数々の殺人、弾圧、汚職を糾弾する内容で、過去に首相の関与が取り沙汰されてきた事件が列挙されています。本題とは別に興味深いのは首相の幼少期からの経歴についても時系列で詳述されている点で、資料としては以前にご紹介したような真偽の不確かな物語より信頼性が高く有用だと思います。
ただし、フン・セン首相とカンボジアについてもっと深く学びたい方に今一番のおすすめは、昨年出版されたこちらの『Hun Sen’s Cambodia』です。
Hun Sen's Cambodia
本書には首相の人物像のみならず、カンボジアの現代史や政治・経済・社会の問題についてユニークで本質を突いた指摘や分析が示されています。大半は体制を辛辣に批判する内容ですが、この国の現状を理解するうえでは必読本といってもいい気がします。
個人的に面白かった本書のポイントのひとつはまさに30年前、フン・センが首相の座にまでのぼりつめた背景についての解説でした。備忘録を兼ねてご紹介しておきます。
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1979年、クメール・ルージュ政権がベトナム軍の侵攻で崩壊した後、ベトナムの後ろ盾でプノンペンに新たに樹立されたのが人民革命党(現:人民党)の政権でした(=カンプチア人民共和国)。フン・センは26歳でその新政権の外相に就任。その約6年後の1985年には33歳という若さで首相になっています。わずかな期間で一気に党内の権力の階段をかけあがることができた理由は何だったのでしょうか。
ベトナム指導部に見いだされた知性
答えを単純に一言でまとめてしまうと「フン・センの能力があらゆる面でズバ抜けていたから」ということになりそうです。
当時、ベトナム指導部はカンボジアに自らの傀儡政権を打ち立てたものの、その中心人物たちをあまり高くは評価していなかったようです。例えば現在も人民党党首を務めるチア・シムは融和・調整型で気が弱く、決断力に欠けると見られていたようですし、ヘン・サムリンは無学で無口なうえ、心にコンプレックスを抱えた人物でした。
(出所: New Youth)
そのなかで唯一異彩を放っていたのがフン・センでした。とはいえ、もともと戦争以外の経験は何も持たず、ベトナム以外の外国に行ったこともなければ言葉も話せない田舎育ちの若者に過ぎなかったので、外相就任当初は国際外交の世界に突然放り込まれてまごついていた面もあったようです。
しかしフン・センは何より頭脳明晰で、指揮官として激しく砲弾が飛び交う戦場の前線をくぐり抜けてきた実績から、実戦能力の高さも証明済みでした。ベトナム指導部はフン・センのポテンシャルにすぐに目をつけ、彼を磨き上げるために投資することにしました。最初の指導係となったのは、ベトナムから駐カンボジア大使として派遣されたンゴ・ディエン。
ンゴ・ディエンは外相に就任したフン・センを毎朝呼びよせ、外交と国際政治について講義を続けるようになります。当初はフン・セン外相の単独行動を許さず、海外メディアに対するブリーフィングやインタビューの場にも影のようについて回り、全ての外交上の決定がベトナム側の意に沿ったものとなるよう、コントロールしました。
フン・センはこうした制約を受け入れながら、自分自身を高めるために厳しい鍛錬を重ねたようです。ソ連のある高官は当時のフン・セン外相と面談したときの第一印象について「鋭い知性と細かい質問に驚かされ、またたく間に感銘を受けた」と語り、またその後のフン・センについても「外交だけでなく内政に関しても視野を広げ、傑出した政治家に成長した」と評しています。フン・センの聡明さと学習スピードの早さは、東西冷戦の反対陣営にいた米国の援助ワーカーにも同様に強い印象を与えていたようです。
(つづく)