フン・センはなぜ権力を手中にできたのか(3)-『Hun Sen’s Cambodia』 |
そもそも1979年のクメール・ルージュ政権打倒までの経緯がいい例です。フン・センはもともとクメール・ルージュの一員だったわけですが、「このままでは自分自身が粛清される」という身の危険を事前に察知し、敵国ベトナムに逃亡するという思いきった行動に出ています。彼だけの功績ではありませんが、とにかくその後ベトナム軍を味方につけて政権打倒まで実現しているわけですから、まさに「機を見るに敏」という評価が適当である気がします。
また、首相に就任したフン・センは、1980年代後半、マルクス・レーニン主義にこだわっていては政権の未来は無いことに気づきます。イデオロギーの維持に固執するヘン・サムリンやチア・シムとは対照的に、フン・センは党内で経済自由化を唱える勢力の中心となり、結果として資本主義への転換を実現。
「フン・センにはもともとイデオロギーなどない」との評もあるようですが、その後に積極的な外資誘致策もとっていますし、経済面では元共産主義政党のリーダーだったとは思えないほど「右」寄りの考え方を持っているようにも見えます。
内戦終結後の国民和解が比較的スムーズに進んだのも、フン・センの大局的な見地に立った判断の結果だと言えるのではないでしょうか。和平合意後もクメール・ルージュは武装解除に応じず抵抗を続けましたが、1990年代後半、フン・センが批判を浴びながらその幹部たちの恩赦や免責を認めたことにより、兵士の大量投降が起き、勢力の壊滅につながりました。
もしフン・センが徹底的な処罰や武力的な制圧にこだわっていたら、クメール・ルージュは最後まで抵抗を続け、紛争の長期化で犠牲者が増えていたかもしれません。
あれほどベッタリだったベトナムの支配からも結果的には抜け出し、いつのまにか中国に乗り換えています。南シナ海の領土問題でベトナムらASEAN諸国と対立する中国にとって、自国側の駒として動いてくれるカンボジアの存在は不可欠になっていますし、その見返りとしてフン・センは中国から多額の援助と投資を引き出すことに成功。
かつてベトナムに対してとったものとまったく同じ戦略をしたたかに相手を変えて継続しているわけです。
本書の筆者は、フン・センを厳しく批判しつつも、彼の資質や能力、そしてカンボジアの近代化と経済成長を曲がりなりにも実現させてきた功績に対しては一定の評価を与えているようにも思えます。
しかし、徹底した「現実主義者」として、的確な現状分析に基づいて戦略的に行動していた若かりし時代とは違い、現在のフン・センはかつてないほど市井の人々の現実が見えなくなっている、とも分析しているようです。
今、カンボジアの人々の意識には明らかに以前とは違う変化が起きていて、雇用や教育の改善、政治と司法の腐敗や汚職の防止、土地収奪や人権侵害問題の解決、自由で公正な選挙などを求める声は高まっています。
しかし前回(2013年)の選挙戦でフン・センがとった戦略は、道路や学校建設などのバラまき事業で人々の歓心を買い、他方で「人民党が選挙に負ければ再び内戦になる」と恫喝する、従来と何ら変わりのない方法でしかありませんでした。この結果、野党・救国党の躍進を招き、フン・センはこれまでで一番大きな政治的危機を迎えています。
筆者は「権力がフン・センを腐らせた」とも指摘しています。年を重ね、富を増やし、党内の反対勢力や野党、国際社会との闘いで連戦連勝を続けるうちに、自信を膨らませて傲慢になり、「フン・センの力は絶対だ」というプロパガンダを自分自身で信じ込むようになってしまったというわけです。
個人的には、確かに慢心や油断があったとはいえ、フン・センの頭と力がそこまで鈍ったとは信じがたい気もします。遅まきながらこれから改革姿勢を打ち出して巻き返し、権力を今後も長く維持しつづけるかもしれませんし、逆に自らの終焉の時期についてもいち早く察知し、無傷で退却するための手を巧みに打っていく、という可能性も考えられると思います。いずれにしても、次回の総選挙までの動きは要注目です。